Proof that I was here

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日々の所感を徒然と綴っていくブログ。

水着イベとマルタ(裁)が嫌だという話

どうも。

今回は長いです。
 
とうとう水着イベの時期ですね……。
このイベントは、何だかんだ文句言いながら楽しんでいた僕が一番最初にFGOにキレたイベントなので、悪い意味で非常に記憶に残っています。
当時は長期の外出の真っ只中で、身体的には悲鳴を上げ、あたまの片っぽではデレステでの佐藤心実装に喜んでいて、もう片方ではマルタさんの扱いにキレていて、凄く複雑な感情であったように思います。
未だにフレ枠に置かれているマルタ(裁)から目を逸らして全く使用できてませんし。
それから一年経って、ある程度理性的な目で問題に対面するようになれたと思ったので、こうして筆を執った次第です。
 
自分語りですが、僕はFGO初期からマルタさんが好きなのです。
最初のキャラはメフィストでしたが、そのまま始めずに慣れなくてもリセマラをしていれば……と後悔している日々の中で突然召喚に成功して、喜びつつずっとマイルームにおいて楽しんでました。
絆についても、初期から愛用してきたクー・フーリン(槍)とエミヤ(弓)とマルタ(騎)はほぼ同時期にLv10にして、今もフレ枠に置いているくらいには好きなつもりです。
聖杯は自分がどうにも効率主義なので(使用頻度が高い頼光や、周回用スパルタクスとかに使ったりなど)2つしかあげられていませんが……。
まあこういうのはたかが自己満足なので、こうすることがイコール愛である、キャラが好きなら当然のことだとは思いません。
とはいえ、されど自己満足なので、マルタさんを強化できてニヤニヤするのも個人的に嫌いではありませんが。

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この記事のタイトルも、正直言ってしまえばマルタ(裁)のことは嫌いではなく好きになれないというのが正しくて、タイトルとしてインパクトを優先した結果でした。
意図的に語弊を生んだことについては謝罪したいと思います。
申し訳ありません。
 
【もくじ】
 
 

はじめに

何故僕がルーラーのマルタを好きになれないか。
それについては「原典との乖離」と「キャラの扱い」という2つが大きな理由として挙げられます。
また、気持ちとして「単純に気に入らない」というものもある、というか好きになれない理由なんてそれが大半で理由付けなんて後からついてくるものだと思いますが。
なのでこの記事が批判されても僕が考えを改めることはないと思います。
あと、この記事における筆者の知識はマルタさんを知って以降のネット知識+いくつかの本からの受け売りと自己解釈でしかないため、間違いが含まれている可能性が多分にあります。
不勉強を承知の上でお読み下さい。
 

原典との乖離

ベタニアのマルタという人物

まずはキャラの元となったマルタの人物像について考えていきましょう。
マルタはラザロを弟に、ベタニアのマリア(≠聖母マリアマグダラのマリア)を妹に持つ、ナザレのイエス(キリスト)の友人でした。
立場を言うならば元はユダヤ教(ナザレ派)の信徒であるため、彼女を考えるに当たってキリスト教成立以降の教義などを考えるとややこしくなります。
さて、マルタを考える上で重要となることの内の一つに、エスが彼女らの家を訪れた際、彼をもてなそうとマルタがあれこれ忙しなく動いていたのに対し、妹のマリアは彼の言葉をただ熱心に聞いていた、という話があります。
マルタは妹にも手伝わさせるように彼にお願いをするのですが、エスはそれに対し「多くのことに悩み、心を乱している」「必要なことはひとつである」と説き、マリアの行い(祈り、主とともにあること)を良しとしました。
聖書にはその後のことは書かれていませんが、彼をこの頃から主として畏敬の目で見ていたマルタには、相当ショックな事だったように思われます。
 つまり、元々のマルタは活動的であったものの、この一件を機に自身の在り方を見直すようになったのではないかということです。
加えて言えば、Fate/Grand Order においては町娘とされる彼女は、原典とされる新約聖書から読み取るに裕福な家の娘で、ヤンキーキャラとするには少々厳しい。
当時、それもユダヤ教においては女性の地位は非常に低く、エスとその弟子を一屋内で自らもてなしているなど、町娘というよりは(語源からして)女主人という方がしっくりきます。(本人の性格はともかくとして)
元来はそうではありませんでしたが、他文化の影響もあってユダヤ教キリスト教においてもですが)では女性を罪深き存在として捉えるようになり、現在でも女性に対するドレスコードなどに挙げられるように、差別はかなり厳格です。
しかしながら、型月版の解釈として姉御肌な性格という解釈はありだと思います。
事実、僕はそれに惹かれたわけですし。
よく矢面に立たされるあの服装も、まあソーシャルゲームという土壌や戦闘ヒロインという設定を考えれば、充分に受け止められるものです。
 

ラザロの復活とキリストの磔刑

マルタの弟であるラザロはある時、病に伏してそのまま亡くなってしまいます。
彼女やマリアを含め、ベタニアの人々は「エスがここにいれば死ぬことはなかった」と信じ悲しんでおり、しかしながらエスは彼の死を知りながらもそこに現れず、数日後にラザロに会って眠りを覚ますと言って彼らの下を訪れました。
この際に、マルタは遅れて到着した彼に対して、上述のこと、生き返らずとも自身の信仰は不変であること、エスが神の子でありメシアであると信じていることを告げます。
彼女はヨハネによる福音書において、初めての「明らかな」信仰告白をしたのです。
そうしてエスは「私は復活で、生命である。私を信じる者は死んでも生きる。生きて私を信じる者は、永遠に死ぬことはない」として、彼女の告白ののち、ラザロを生き返らせました。
さぞ彼女も自身の信仰が報われて歓喜に満ちたことでしょう。
一方で、この奇蹟はめぐりめぐってユダヤ教のお偉いさんに伝わり、エスの処刑の原因の一つとなってしまいます。
これに対し、マルタはエス磔刑に処せられても、 それを最後まで見届け、彼とともにあったとされています。
 

黄金伝説 第100章

出典は新約聖書から変わり、13世紀半ばに書かれたとされるキリスト教聖人集『レゲンダ・アウレア(黄金伝説)』の第100章「聖女マルタ」になります。

つまり、後世において描かれたものであり、彼女(ライダーマルタ)が「どっちも素」というのは新約聖書の彼女と黄金伝説の彼女の2つを指しているのでしょう。

作者も時代も全く別で、黄金伝説自体の文献としての信頼性は……まあ、それはともかくとして、聖書ほどではないですがかなり多くの人々に愛読されたもののようです。

こちらの話は他サイトでもよく話題に上がるので説明はしませんが、原典においてはマルタは祈り・聖水においてタラスクを御し、それを受けて住人たちはキリスト教に回心?します。

黄金伝説においてマルタらは王族の出とされ、礼儀正しいベタニアの領主であり未婚です。

怪物タラスクの話以外としては、マリアラザロとの話もあるのですが、ベタニアのマリアマグダラのマリアの同一視など説明がややこしいのでここでは省きます。

 

まとめ

以上より、まとめとして僕が何を言いたいかというと、マルタという人物は「主の教えと祈り」というものが根幹に存在する人物であるということです。

それはエスから教えを受けて以降、強烈に自身の奥深くに刻まれ、そして彼女の信仰心は彼の弟子たちに勝るとも劣らないものだと言えます。

ですが、マルタ(裁)では「主よ、しばし目をお瞑り下さい」など、各所にあまりにも主を軽んじているのではないかという言動が目立ちます。

勘違いしてほしくないのは、型月マルタのともすれば聖女らしからぬ苛烈な言動や、戦闘の手段としてステゴロを用いること自体については僕にとってはどうでもよく、上述のようにあまりにも「ベタニアのマルタ」という人物像からかけ離れていることに腹を立てているということです。

むしろマルタ(裁)においては、「あの頃」とされる彼女からすれば聖女として扱われたのは黄金伝説での布教以降の話であり、自身がそうありたいと思うことを除けば聖女然とすることを求められるの自体どうなんだという話なのですが。

……まあ、竹箒でのクッソ適当なキャラ付けにキレたことも事実ではありますが。

竹箒日記 : 2016/08

ともかく、ステゴロネタは型月特有のものと受け入れても、これをベタニアのマルタという「祈りの聖女」「信仰の人」として描くには無理がある、そこを変えたら駄目だろうというズレが存在するのではないか、というのが僕の主張なのです。

 

 

キャラの扱い

さて、次はファン界隈でのマルタさんの扱いの話ですが。

……ぶっちゃけた話、上での設定面での矛盾なんかは論を裏付けるためのものに過ぎず、僕個人がキレてたのはこっちの話です。

事の顛末については、僕一人の考えを読むより当時の状況を俯瞰的に読者の方々自身の頭で考えてもらった方が良いでしょう。

スレッドに最初にいた住民とその後の分裂、現在までの流れは軽くディアスポラ染みてて、我ながら笑えません。

 

【愛を知らない】マルタさんについて語るスレ【哀しき竜】

【ステゴロ】聖女マルタさんについて語るスレ【禁止】

【刃を通さぬ】マルタさんについて語るスレ【竜の盾よ】Part2

 

こっちは原典も文献も何もない話なので個人的な感情のみの論です。

ここまで読んだ人には分かる、というか分からずとも察してほしいのですが、僕は厳密にはステゴロは賛成派でも否定派でもありません。

……と言いたいのですが、本心を言えば気に入らないところも割とあるので否定派寄りではあります。

ベオウルフとの話だとか、バトルモーションのファイティングポーズだとか、ヤコブ神拳()だとか……。

坊主憎けりゃ袈裟まで憎いではないですが、一度マイナスイメージを持ってしまうとどうしても色んな点が癪に障ってしまうものです。

で、当時見た意見の中には「きのこのお墨付きwww否定派は首吊って○ねwww」だの「ステゴロヤンキーがマルタの本性。ふだんは猫被ってるだけ」だの「欲を隠しきれないむっつり性女」だの、目に余る言葉がよくありました。

もちろんこれが全てのファンの言葉とは思っていません。

いませんが……どうにもマルタというキャラが、公式・ファン界隈で共に、ステゴロありきのキャラとして扱われている感がどうしても否めないのです。

マルタ(裁)の設定には霊基弄られただとか夏のテンションだとかよく分からないものが多いですが、ステゴロヤンキーは彼女の本性ではありません。

マルタ(騎)のセリフにもあるように、彼女の原典に新約聖書と黄金伝説の2つが存在するように、彼女が自身を偽っているのではなく、事実として「どっちも素」なのです。

聖女らしからぬ言動でおてんばだった過去(町娘時代)を、彼女は「なかったことにする」のではなく「恥ずべき過去として封印したいと思っている」のです。

それを心に留めて、彼女を見てほしい、というのが僕が言いたいことです。

ギャグとしてそのように茶化されるのは型月ではよくあることですし、そこまで神経質ではありませんが、あくまでギャグとして、という枕詞があった上での話です。

 

……面倒くさいファンだとか、原典厨だと言われるのは百も承知です。

ですがこう思っている人間がいる、ということを一記事として形にしておきたいという話でした。

マルタさんに関する話は以上です。

 

 

 

水着イベ

蛇足なようでそうではありません。

僕は個人的に文句ばっかりのFGOの中でも水着イベが一番嫌いです。

FGOの悪い部分を煮詰めて出したような内容だとすら思っています。

よく文句を言われている各イベや2章、4章なんかはむしろそこまで気にならず、先日のアガルタもそんな感じだったのですが、これに関しては別です。

クソみたいな選択肢。

男キャラをハーレムのお邪魔キャラかお助け役としか思っていないような小話。

挙句の果てには交尾だのマルタさんの聖水飲みたいだの……。

吐き気がします。

流石に気持ち悪すぎて、2016のイベ当時からスキップばっかりしてました。

僕からすれば、下品だと揶揄されているアガルタの数百倍は下品です。

後半戦に至ってはキャラのセリフにさえ違和感を覚える始末ですし、よくこのまま復刻しようと思ったなと関心すらしています。

キャラの水着姿以外いいところありました……?

そこについても何だかキャラを消費するような内容ばっかりで、アルトリア(弓)とか玉藻(槍)とか辟易してるのに……。

 

 

……後半になるにしたがってどんどん口汚くなってますので、流石にこれで終わろうと思います。

気に入らないことを話せばこれ以外にも三蔵ケツァルコアトル大河エミヤオルタと色んなことが気になってしまうので駄目です。

ありがとうございました。

 

P.S.

ちょくちょく更新してはいますが多くは誤字や表現の修正です。

申し訳ない。

 

 

 

→次回に続いてしまいました

sugartmheart.hatenablog.com