Proof that I was here

Proof that I was here

日々の所感を徒然と綴っていくブログ。FGOとかアイマスとか…

Fateというコンテンツに対する筆者個人の考えについて


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こんにちは。
先日の記事でのodaibakoについて、いくつかご意見をいただいたことをこの場で感謝させていただきます。
こんな辺境のブログにもちゃんと読者がいらっしゃることは非常に幸せなことです。
どうもありがとうございました。
そして、それに加えて意見への返答としてこの記事を書かせていただきます。
多忙につき時間が空いてしまったのは申し訳ありません。
 
まず一つ。
僕はこのブログでFGOに対する批判意見を挙げさせてもらっていますが、これは断じて件のFGOやそのキャラを口汚く罵ろうと思って書いたものではありません。
気に入らないことはままあれど、それを楽しんでいる人がいるのは理解していますし、ここから新しく型月作品を知って参入してきた新規ファンがいることも承知です。
そしてもちろん、このブログが新規ファンを遠ざける要因になりかねないことも重々承知しております。
ですが、だからこそFGOという作品の粗でこれまでのコンテンツを誤解してほしくはありませんし、FGOにはその粗自体を生んでほしくないと思っています。
 
そういう経緯で、自分の考えを文字に起こすことで誰かに伝えたい、自分を冷静に客観視したいと思い、このブログを立ち上げました。
さっさとコンテンツから離れないのは、かつて若かった自分に衝撃を与え、ある種人生観を変えたかもしれない作品が変わっていくのに耐えられないと思ったからです。
日本人然として、黙って見なかったふりをしてコンテンツを諦めるのは嫌なのです。
老害と言われようが……というか老害だと自分でも自覚しています。
このブログは個人ブログなので、他者にこの意見を強要しようというつもりはめっぽうございません。
あくまで一ファンの批判意見として読んでいただきたいと思っております。
 
 
二つ目に、何故僕がFGOを批判するのか。
……というか、何故FGOを面白いと思わないのかですね。(批判だけなら過去のコンテンツにもたくさんありますし)
 
僕は、スタジオディーン版のアニメから型月に入った人間です。
なので、一応10年来のファンということになります。
ですがアポなどの外伝作品はほとんど読みませんし、興味を抱いてきませんでした。
FGO以降、特に活発になったリアルイベントやグッズなども全く興味がありません。
それは端的に言ってしまえば、僕の最大の目的が文を読むことであり、「作品と読者」の一対一の関係があればそれでいいと考えてしまうからです。
ファン同士語り合う場は、アイマスなどそれ自体がコンテンツの一部となっている作品と比べて、あくまで二次的なものでしかなく、僕にとって型月作品は「奈須きのこの作品」と「読者である僕」だけの閉じたコンテンツでした。
以前まではアングラだったこと、SNSが普及していなかったこともこれに影響しています。
他人の考察を読むことはあっても、読んだ時の気持ちは僕だけのものでした。
つまりは、以前までは僕が僕以外のファンの存在を(無意識下で)想定していなかったんですね。
だから批判意見はただコンテンツホルダーへ向けたものであって新規を追い出すなんてつもりはないのに、結果的にそれが知らぬ内に新規を遠ざけることに繋がってしまうのだと思います。
当然、この考え方が正しいものだとは思ってません。
ただ、変えるつもりもありません。
コンテンツとの付き合い方や楽しみ方は各人の中に存在するものだからです。
なので正直に言います。
僕としては、いくらFGOクソゲーだろうとつまらなかろうとどうでもいいのです。
今のところは。
じゃあ何でこれだけ批判するかと言えば、それは僕が楽しんできた過去作品との矛盾があるからなのです。
 
某キャラの設定判明時、どこかでは「それは単にお前らが間違ったキャラ解釈をしてただけ」と言われていました。
ですが過去作で「A」と述べられていたものが最新作で「B」とされ、素直に作者から「ごめんなさい、矛盾です」「設定のアップデートです」と言われるならまだしも、ノーコメントだったり素知らぬ顔で「いや、これで正しいけど」と言われたり、ましてや外野が批判に対してとやかく言ったりするのは間違ってます。
間違ったキャラ解釈?
一個人の解釈ならともかく、ファン内で共有されていたキャラ像から乖離したものを出され、それに文句言ったらファンの解釈がおかしいって、それは作者の描写の仕方がおかしかった(不足していた)と言うようなものなのでは?
まあ、ボカすのもアレですので……エミヤオルタとかの話ですね。
いろいろ議論はありますが、あのような経緯を辿って最終的に堕ちてしまうというのはFate/stay night、Fate/hollow ataraxiaの士郎の描写からは(少なくとも僕は)考えられないです。
以前のマルタさんの話題については、FGO初出ということもあって自分の中で折り合いはつけられつつあります。
ですが、正直エミヤオルタとジャガーマンは、どうしても使いたくないと思ってしまいます。
後者についてはいくら擬似鯖でも大河を戦わせたくない……という、もっと自分勝手なエゴですが。
 
 
で、キャラや設定への解釈以外の話。
考えました。
僕が何で近年のコンテンツを楽しめないのか。
最近自覚したような感じもありますが、僕はたぶんFateという作品に対して切った張ったのバトルを求めていないんですね。
思い返せば映像化された戦闘シーンにも、干将莫耶脆すぎだとか、ナインライブスの時に士郎の顔映すなだとか、文句ばっかり言っていた記憶があります。
確かに燃えるバトルシーンもたくさんありますし、いらないとは思っていません。
ですが、少なくとも僕にとってのsnやhaのバトルシーンは物語を盛り上げる一つのエッセンスでしかなく、他にもっと好きな場面がたくさんありますし、今思えば何度も見返すところは動きのない会話シーンばかりでした。
だから英霊同士の戦闘が主な後続作品を好きになれないんだと思います。
snがZeroと比べて子供の争いでしかないという批判も、凝り固まった生き方を変えられなかった第四次の人達(一人を除く)と比べて、まだ生き方が定められない者達の苦悩の話(ジュブナイルノベル)であることの現れだと思っています。
その中で、衛宮士郎というキャラが出していった彼なりの答えに僕は魅力されました。
 
「ほほをつたう」における「死んでいった人達のためにも、やり直しなんかできない」
 
「Wish.」における「誰も失われていない理想郷でただ一人、失われたものに価値を見出そうとしている━━骨の髄から捻じ曲がった正義の味方」
 
Fateとは、衛宮士郎の物語です。
彼と、彼を生み出した奈須きのこの考え方は、今も深く僕の心に刻まれています。
 
もちろん僕は、何も衛宮士郎が出ないFateFateにあらずと言うわけではありません。
ですが、今のFGOではまだ過去作品で僕が感じた感動の1%も感動できていないのです。
……何だかんだ理屈を並べておりますが、結局のところはこれが批判の主な原動力なのだと思います。
筆者がそれぞれ異なるだとか、単純に描写が不足しているだとか、いちいち面倒な戦闘画面に遷移する上に(実装時期の問題で)シナリオが一気に読めなくて感情移入が妨げられるだとか、コメディが挟まれる割合が多くて緊張感がないだとか、その原因は様々ですが……。
 
 
「貴方、ロックスターみたい」
 
一見するとなんてことないセリフです。
でも、haでの「スパイラル・ラダー」の場面を見た時、語り尽くせないほどに心が震えたのは、それまでの長い積み重ねやいろんな想いがこのセリフに詰まっているから。
その積み重ねが、FGOには足りなさ過ぎるのです。
感受性が高い年頃に読んだこともあって自身の中で過去作品に対して補正がかかってしまうことを鑑みても、あまりにもFGOには人物の思いが足りていない。
スマホアプリという環境が物語に与えた影響はあまりにも大きいです。最終章でのキャラ達のチラ見せにしかならなかった登場シーンや、新宿であれだけ主人公の心構えについて言及されていたにもかかわらず、後の展開での驚くほどの成長の無さ、アガルタでのロマニやフェルグスに対する考え方におけるキャラとプレイヤーとの温度差……。

以前までのスマホアプリ故のチープさ(文量不足という仕方なさ)と、最近の展開におけるチープさ(単純に物語としての杜撰さ)は、似ているようで決定的に異なります。

加えて、6章でのランスロットに対するマシュの暴言を見て以降、僕の中でマシュがどういうキャラなのか分からなくなっています。
ギャラハッドの人格は消えてしまったのではないのか?FGOはデザイナーベイビーであるマシュの成長譚でもあるのに、主人公の太鼓持ちと化しているのではないか?そこにマシュ本人の気持ちは介在しているのか?
FGOの中でも特に主人公とマシュは、その登場回数の多さにも関わらず内面が見えてこない。
(岸波白野という存在は置いておいて)環境からして主人公のパーソナリティーの薄さは議論の余地があるとしても、マシュに関しては本当に理解が追いつきません。
主人公に関しても、(様々な要素を考慮しても)ロマニがあれだけジャンキーなのに人類最後のマスターである本人の楽観っぷりは驚嘆に値します。
もう少し悩む素振りでも見せていれば、ここまで叩かれることもなかったでしょうに……。
 
 
 
書きたいことが散逸してきたので、一旦ここで締めたいと思います。
何分、内容が半分以上感情的なものなので要点も何もありませんが、まとめるとするなら「これだけ好きで追ってきたんだから個人的な批判くらいはさせていてほしいよ」ということです。
泣き言みたいなものですみません。
お便りでいただいたキャラdisなどは正直嫌いなのでするつもりはありませんし、ここの意見が新規を遠ざけているのは承知の上なので辞めようとは思っておりません。
ただ、ご意見をくださった方が「書くのをやめろと言うつもりはない」と言って下さったのは救いですし、一意見としてお便りをいただいたことには重ねて感謝をさせていただきます。
そういう方がいることを頭の片隅に留めながら、今後も批判記事を上げていきたいと思います。
 
今後、型月というコンテンツが今のまま続くとしても、過去の遺産にすがりつくような思いですが、snやhaは好きでい続けます。
批判がファン界隈で続いていってお上の目に留まるならそれで良し、変わらなくとも今のままです。
FGOに金は落としませんが。
アンチスレ他では菌糸類の才能は枯れたとも言われてますが、過去作品がなかったことにされない限り、僕はまだまだ文句垂れながらすがり続けようと思います。
 
短時間で書き上げた上、感情的な内容というお見苦しいものになってしまいましたが、今回はこの辺で。
何かあればまた投書をお待ちしております。
では、どうもありがとうございました。